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白い息

「冬が好き。だって生きているって気がするんだもん。」
これが彼女の口癖だ。

彼女は本当に無気力で、ちょっと目を離したら電池が切れたミニカーみたく止まってしまうんじゃないかと思うほどだ。僕は気が気じゃない。
彼女が外に出たがることはめったになく、毎日のように部屋にいて、音楽を聴き、本を読み、文章を書いている。
…かと思ったらボーっとしている。
こんなに変化のない日常の中で、よくもまぁ小説なんて書けるものだ。
そして、それを職業とできているのが僕には信じられない。
晴れわたった気持ちのよい日、めずらしく外に出たいと言ったが出かけた先は図書館で、地下にこもって書物を読み耽っていた。
彼女はそんな人だ。周りに不思議な人間だと思われている。
僕すらそう思う。

僕が彼女と出逢ったのはこの春。
だから、まだ彼女の好きな冬を一緒に過ごしていない。
このあたりの冬は寒さが厳しいと言うし、それこそ彼女は倒れてしまうんじゃないか。
僕は不安でたまらない。


あるとても冷え込んだ朝だった。
窓の外をじっと見て、彼女が僕にこう言った。
「ねぇ、公園に行こう。」
時刻は確か午前5時だった。寒くてベッドから出られない僕。
彼女はクローゼットからコートとマフラーを取り出し、僕に渡す。
「行こう。」
こんなにはっきり言う彼女を見たことがなかった。
寝ぼけ眼で着替えてコートを羽織り、彼女に連れられるまま、公園へと出かけた。

まだ夜の気配の消えない街の中は、静まり返っていた。
僕と彼女の足音が響き渡った。
サクサク。
いや、足音というより霜柱の砕ける音と言ったほうが正しいのかもしれない。
このあたり一面、白い霜柱が覆っているのだ。
彼女は嬉しそうに、わざと音を立てながら歩く。
サクッサク。サクサクサク。
「きっとね、そろそろ来るよ。私のお客さま。」
彼女は言った。
僕は彼女が何を言いたいのかわからなかった。
そして、こんなに生き生きとした彼女を見るのははじめてのことで、何だか戸惑った。

彼女は息を長くはいた。
楽しそうに、何度も何度も続けている。
「どうした?」
僕は訝しげに聞いた。
「あたしが冬を好きな理由を教えてあげようか。」
質問とは関係のないような言葉を彼女は口にした。僕は黙って頷く。
「人間っていつでも息をしている。それが当たり前のことだってみんな思ってる。でも、目には見えていないじゃない?私は自分が本当に息をしているのか、不安になるときがあるの。でもね、冬だけは違う。」
そしてまた、黙って息を吐いた。
「こうやって、自分の息が見えるでしょう。」
真っ白な息が彼女の手のひらへと消えていく。
「それだけじゃないわ。空からやってくるお客さまが、人間とは血の通い、温度を持った動物であるってことも教えてくれるのよ。ほら。」
そう言って空を見上げた。
空から、白い粉雪が舞っていた。彼女のちょっぴり高い鼻に、雪の花が一片とまった。
途端に、彼女の温度が花びらを溶かし、頬へと流れた。
こんな彼女を無気力だ、などと思っていた自分が恥ずかしくかった。
そして、彼女の生き生きした表情を見て、僕の心配は取り越し苦労だと感じた。


彼女が本当に病気だと知ったのは、それからまもなくのことだった。
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