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ゲゲゲの解夏①

 今日、女友達と映画を観に行った。今日の一本は「解夏」。ミニシアター大好きなあたしが、ミニシアターだらけの渋谷で、こういう作品を観るのは「踊る大捜査線2」以来だから、かなり久しぶりだ。…とはいえ、普通の人からするとそんな前ではないいように感じるかもね。でも、あたし、月に3~4本劇場で観るので、もう結構前の話になる。

 さてさて、その「解夏」だが、素直に泣けるお話だった。まぁ、涙腺の弱いあたしの基準だけでは、つい先日もTVで「恋は舞い降りた」(邦画:主演=唐沢寿明・江角マキコ)を観て1人号泣したばかりなので参考になるかどうかは微妙だが、隣の友達もななめ前のカップルの彼女サンも泣いていたから、普通の人、特に女の人は泣けるんじゃないだろうか、と。
 主役・大沢たかおがラストシーンですごくさわやかな表情を見せるのだが、そのさわやかさと切なさに、もともとそれほど好きじゃないはずのあたしは一瞬惚れそうになった。その病気に苦しむ恋人を必死に支えようとする石田ゆり子の演じる、強さを併せ持った優しい女性も美しかった。また、大沢たかおの母親役を演じた富司純子の凛とした佇まいも素敵だった。
 ところが、この作中であたしに最も印象に残る言葉を放ったのは、こういったメインキャストではなかった。序盤にワンシーンだけ登場した、柄本明の言葉である。(彼は主人公と同じベーチェット病により、既に視力を失っているという役どころである。)
 
 ―目が見えなくなるということは、闇の中に突き落とされることだと思っていた。…我々は、闇という名の光を見ていたんだ。―

 はっとした。見える者、つまり健常者にとっては闇=無という概念は当たり前のように感じられるが、光があってこそ闇が存在するわけで、失明してしまった人間にとっては闇さえも感じることはできないのだ、と。彼のこの言葉は、闇に落ちるわけではないのだと、主人公にとっては多少なりとも救いの言葉となっているのかもしれないが、あたしにはとても悲しい事実のように感じられる。対を成すものの片方をなくせば、両方とも消えてなくなるのだ、と諭されたような感じがしてならないのだ。ネガティブ過ぎるのかな?
by suemaru0420 | 2004-02-09 23:36
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